世界でブランドが出来上がってきた理由や要因

ブランンドが繰り広げてきた過去の歴史と今のブランドの違い

今日のスーパーブランドとは

ファッションとは、その言葉にいくつかの意味を
見出せるのではないでしょうか。

ひとつは、「個性」。ファッションによって個人の
主張を表現する。「身分」。大昔から社会的な
身分の違いにより、その違いをファッションで
変えて(差別化)いた。

たとえば「素材」においては、シルク、金、毛皮
など高額な素材を使用することで、「身分の
高い」ものとそうでないものとを差別化する証
として使われていたであろう。

「高級ブランド」と称されるものは、この慣例を
引き継いで、生まれたものです。

身分の違いを表す代名詞のワードにもなっていた。

スーパーブランド、高級ブランドがファッション
の「個性」という位置づけで使われるように
なったのは、西暦の歴史ではまだ新しい
発想であります。

現在約30以上ある「スーパーブランド」と称さ
れるものは世界全体の売上げにおいても、
半分以上の6割の売上げを占めていると
いわれます。

ジャンルも幅広く、服はもちろんのこと、
バッグ、レザー製品、、スカーフ、ネクタイ、
時計、宝石そして、今日のブランド志向へ
の登竜門的な存在、香水、化粧品など
そのアイテム数は数多く存在します。

「普段私たちが身につける」存在に徐々に
近づいてきたことは、良し悪しは別として、
「スーパーブランド」と称されるアイテムが
現在では「民主化」としてのターゲットにも
重きを置いている戦略があるといって間違い
ないでしょう。

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スーパーブランドと称される由縁

現在の「スーパーブランド」と称されるアイテムを
作り出している企業は、創業時、そのほとんどが
「小さなお店、製造」からスタートしたわけです。

例えばグッチルイヴィトンセリーヌなど美しい
手作りの商品をひとつひとつ、心を込めて
作り上げたものを、王族、貴族、上流階級の
人達から支持を得て、歴史が作られてきた
わけです。

地域ではヨーロッパ、主にフランスの統治時代での
ことです。

その物づくりのプロの人たちの身分は、大半が決して
高い身分の人達ではありませんでした。

そして、時代はヨーロッパでの王族時代が終わり、
「スーパーブランド」はその本物の価値が衰える
ことなく、米国の一部の社交界に移っていきます。

この一連の歴史が、「伝統」を作り出し、また
「象徴」という二文字を勝ち取ってきたわけです。

ものを買えばいい「製品」という価値ではなく
いわばひとつのごく限られた集団である「証明の証」
といったポジションなのです。

では現在民主化した「スーパーブランド」はそうでは
なくなったのか?というと、そうとは言い切れない
部分があります。その理由は、このあとに書いてい
きたいと思います。

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過去と現在のスーパーブランドの大きな違い

どのような「伝統」や「製品」でも
時代が変われば何かしら変化が生じます。

たとえば、日本の「伝統産業」が紹介されるとき
また、伝えられるとき、「今日まで昔ながらのやり
方を変えずに・・・ます」

というような台詞をよく耳にしますが、「変えずに」
というのはやり方は変わっていないかもしれませんが、

その製造過程における道具などは「壊れて使え
なくなった」ものから「新しい同じ道具」に変わって
いるかもしれません。

素材を使うなら現在の地球環境に影響される
ものなら、何かしら変化が生じているかもしれません。

また100数十年続いているものなら、100パーセント
変わっているのは、作っている「人」です。

親子3代・・ともなれば2回は作り手が変わっています。

ここで言いたいのは「変わっている」ことが「非」という
のではなく、「変わっていて当然」の部分もあるという
ことです。

是も非もありません。

では「スーパーブランド」はどうでしょうか?
まず作り手は「大きく変わっている」でしょう。

しかも「親子3代」なら変化の部分も少ないでしょうが、
現在のスーパーブランドは多種の血族や団体によって
「企業化」「グループ化」しています。

そして創業者の血族はほとんど残っていないブランドが多いわけです。

それは、スーパーブランドが目指す「目的」の変化・
違いに大きく影響されているといえるでしょう。

スーパーブランドがその存在の目的を変化させて
いったのは、米国へ渡ってから、作り手も世界規模で
変化し、地球規模の波へと向かっていったことが、
まさにグローバル化への変化の始まりとなったわけです。

「作り手」が「経営者」にかわり「目的」が変わった。
「目的」が変わったことで「象徴」の二文字が 小サイズ
に変わり、小さくなったことで、その象徴からの「対象」に
枝葉が生まれた

この部分が「大きな違い」ではないかと感じます。


しかし日本人の私が個人的に言うと「スピリット」は変わっ
ていて欲しくない ですね。それが日本人的な「伝統」の
認識ではないでしょうか。


「日本人の私」と書き加えているのは、 この「希望」は、
まさに日本人的な発想ではないかと思うからです。

「是」か「非」かは別として・・。

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高級ブランドの大転換期

それまで、高級ブランドは一部の社会階層上位
ある人々の「象徴」であった。

しかし、1960年代の米国での「政治革命」が
過去の「社会身分制度」を大きく変え、そしてまた
「スーパーブランド」も能力主義の成功者の
元へと、向かうことになる。

成功者は生活のすべての環境の「上質」を目ざした。

これにより、高級ブランドの「象徴」はダークなイメージから
ライトなイメージへの転換を成し遂げたように思います。

そして、高級ブランドの「買収」が頻繁に
起こったのもこの頃からである。

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ブランドとショッピングのコラボレーション

日本で展開される「スーパーブランド」。

路面店、アウトレットモール、免税店、百貨店、雑誌
広告、そして、どのジャンルにも共通しているのは
「ネットスペース」。

「ネットスペース」においては、多数の小売店が、
そのほぼ無限大に増える「スペース」をシェアする
ことで展開している、今日では重要度の高い展開
方法です。

それに対して、この「展開戦略」はどこに向いて発信
されているのかというと、主に30代~50代の「高収入」
「資産高シェア」の女性となります。

スーパーブランドの「象徴」の二文字が小さくなった
ことから、生まれたもののひとつに「楽しいショッピング」
があるように感じます。

「楽しいショッピング」の中に、「スーパーブランド」の立ち
位置が存在し始めています。

今までにはなかった「製品」としての立場が生まれ、
「サービスの提供」を積極的にすることにより
「民主化」が進み、

顧客達の「満足度」を叶えているようです。

しかし民主化されたスーパーブランドの製品が
「象徴」をなくしたかと言うとそうではありません。

「中流以下」ではなく「中流以上」としての小さな
「象徴」が人々の心の中に数多く存在し、顧客達
は「ショッピング」によって、「象徴」と「満足感」
を得ているわけです。

店舗のショッピングにおいては、日本ではあまり
見られませんが、海外高級ブランド店の前に立てば、
黒いスーツの男性が、入り口のドアをさっと開けて
くれる。

店員は、顧客の要望を叶えるためあらゆる努力と、
行動でそれに答えようとする。

顧客が製品を手にするまでの、コンセプトにも大きな
満足感が盛り込まれています。

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日本から中国、そしてアジアへいくスーパーブランド

2004年の高級ブランドの売上げの
41パーセントが「日本」でのシェアであった。

しかし、その後はシェが減少し、

2010年からは中国のシェアが急激に伸びた。

2016年からは、その中国も経済縮小に向かい
今後はアジア全体にシェアが分散してくであろう。

日本人があこがれる「高級ブランド」とはいったい
何であったのか?

「高級ブランド」という「カリスマ」的な代名詞
へのあこがれはあっても、そこには過去の高級ブランド
にあった、素材や技術の追求によるブランドという
価値は一向に見当たらない。

なぜなら、その高級ブランド自体の、民主化戦略的
アイテムの大半が、過去の伝統を捨てているアイテム
でしかないからである。

日本で巻き起こった「高級ブランドブーム」は
すでに中国、そしてアジア全体へと向いている。


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高級ブランドが染め分けされる


現在「スーパーブランド」と呼ばれるその「象徴」は
ひとくくりでいうと「輝きを失った」
と映って見えても仕方のない現状であります。

ここでいう「輝きを失う」とは過去の
「伝統」と「象徴」という重厚な言葉からは
かけ離れていることを指します。


では、すべての高級ブランドが一律でそうであるの
かというとそれは「一律」ではないようです。

ここでは固有名詞のブランド名は控えますが、
高級ブランドに携わる沢山の関係者たちの
意見の中では、魅力が維持されているものと、
そうでないものが出てきているということです。

少し話がそれますが、私の持論で、「伝統を
守る」という言葉と行いほど「厄介なものはない」
と考えています。

そもそも「ファッション」というのは時代によって
変化しています。「インテリア」もしかり。
その基本は「衣・食・住」のなかにあるのでは
ないでしょうか。

中級・高級はあれども、その大元はこの3つ
を基本に考えれば、ひとつ筋の通った
製品がおのずと現れてきます。


「生き物」で考えてもそうです。地球上の
生き物は「進化」をとげて、生き残った今の
生態系があるわけです。

過去の形にとらわれた種族は
「どん底」から変化を強いられた種族にやがて
逆転され、生存交代が始まる。その繰り返し
が行われてきたのではないでしょうか。

生活様式が変化しているのに、果たして
「伝統」1本で守っていくことが、本当の守る
ことを意味しているのかというと、そうは考えづ
らいわけです。


「伝統」を守る使命に駆られた人たちのお話を
聞けばそれは、「なるほど」と気持ちの上では
納得できるものです。しかし、その話には
「だからどうするのですか」

という話にはつながらないことが多く、やがて
伝統はその代で消滅してしまいます。

厄介なのは、伝統継承者の気持ちが
「わかってしまう」ことです。

彼らの言葉は「本物」の気持ちであるが
故の言葉だからです。

だから反発や提案が周りからされにくい
わけで、そこからは次に生まれるステップが
なかなか引き出せないからです。

大きな意味において、姿、形が変われど
「伝統」は守られる。

そこに活路を見出すことがあっても、私は
いいと思いますし、それこそが、世に認めら
れる「伝統」であり、「伝統の存続」の大切
な部分ではないかと思っています。

話がそれてしまいましたが、近い将来、
高級ブランドは売上げや利益とは別に、
本物を見極める人たちから、選別されて
いくことになりそうです。

もし「不可」のレッテルを貼られたブランド
でも、「どん底」が次への始まりと、私は
期待するほうを望みます。

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スーパーブランドとのコラボレーション

現実、スーパーブランドはどの世界においても
絶大な需要があります。

そのひとつの指標となるのが「ライセンス契約」です。
ひとつの物や製品がスーパーブランド+αとなることで
今までにない需要が生まれます。

たとえば、「携帯電話」。現在ではブランドバッグ
の中にはかならすと言っていいほど携帯電話が
入っています。

この携帯電話を、ファッションブランド化する、
スーパーブランドとのコラボにより、斬新な
デザインを付加することにより、通常の
通話やインターネットを行う目的以上のもの
に進化し、さらに大きな需要が生まれています。

この例を見てもわかるように、「スーパーブランド」
の潜在的な価値観はまだまだ残されているようです。

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スーパーブランドを取り巻く「正論」


いつの時代も物事には
ウラと表の顔があるます。

「高級ブランド」も例外ではなく
「伝統」「象徴」「誇り」「高潔」という
表の顔があるものの、見方を変えれば
「ダーク」「差別的」「贅沢」など
ウラの顔を持っています。

創業⇒繁栄⇒転換⇒成熟⇒革命⇒飛躍・・
そんな歴史を送ってきた高級ブランドの
今にある正論もいくつかあります。

ファッションブランド雑誌を編集する
キャリアたちは、今の高級ブランドの
あり方について、
「人々がファッショナブルになれる入り口が
開かれた意味のある姿」と言います。

しかし、他のファッション界の関係者に
おけば、「高級ブランドは流行にのみ
追われた粗悪な製品と化した」という意見も
少なくはないようです。

このように「スーパーブランド」は
世界的規模で人々を「魅了」し、また
「困惑」させる。

それは私なりに言うと
「共存共栄」なのかもしれない、そして
それが、「peaceful coexistence」
(平和共存)であれば・・・それがいのかと
思います。

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スーパーブランド・ブランド一覧


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